全失語の患者さんが流した涙。「良い姿勢」の罠を見抜く臨床推論と理学療法士が学び続ける本当の理由

たまには、理学療法士らしい現場の臨床記録を書いてみようと思います。 私の人生の目標の一つは「日々感動すること」なのですが、昨日はまさに、その目標を実感する出来事がありました。

リハビリ中に、50代の男性患者の涙と、その感動を共にした話です。

その方は全失語があり、言葉を表出することはほぼできません(短文レベルの理解は可能です)。金属支柱付き単下肢装具とT字杖を使用し、中等度介助で歩行ができるレベル。非常に連合反応が強く、動こうとすると手が曲がり、足もねじれながら浮いてしまう。立位でも非麻痺側の左側だけでしか立てていない、非対称性の強い方でした。

「なんとか一人での歩行を獲得したい」という担当スタッフの強い希望と悩みがあり、私が担当スタッフと一緒にリハビリに入ることになりました。

「姿勢が良い」という第一印象の罠

お会いして最初に気になった第一印象は、「非常に姿勢が良い」ということでした。 背中がピシッと伸びていて、視線は下を向けない。車椅子にカチンと良い姿勢で座ったまま、そのままの形で立っていき、歩いていくような印象を受けました。

体幹を詳細に評価してみると、背面筋が過剰に働き、常に脊柱を伸展位(反った状態)で保っていました。

脳卒中片麻痺の患者さんを担当する際、私たちセラピストは「重力に対して体を上方向に起こしていきたい(抗重力伸展活動を作りたい)」と考えます。そのため、どうしても患者さんの体を「伸展させて起こしたくなる」という心理が働きます。担当スタッフが陥っていたのも、おそらくこの思考でした。

しかし、背中の伸展は、時に重心を下げかねないのです。 私たちが本当に欲しい「抗重力伸展活動」というのは、背中側(背面筋)と腹側(前面筋)が協調して働き、結果として重心が「上」に引き上がる状態です。しかし、この患者さんのように(あるいは若い女性などにも多いですが)、腹部をサボらせて背中を反るだけの力任せの伸展は、重心が上がるどころか、むしろ下方に押し下げてしまいます。

彼には、伸展の努力は過剰にあるのに、屈曲の要素が全くありませんでした。 腹斜筋、腹横筋、腹直筋、大胸筋といった体幹の前面筋が働かず、脊柱を一つ一つ屈曲させる(丸める)ことが全くできていなかったのです。「どうりで感覚が悪いにも関わらず下を見ない(見られない)わけだ」と腑に落ちました。

劇的な変化と、言葉のない涙

原因が分かれば、やることはシンプルです。 私はまず、脊柱を一つ一つ下方に下ろしていき、体幹の屈曲を作るアプローチから入りました。前面筋を短く働かせ、過剰に収縮していた背面筋に長さを出していく作業です。

それだけです。本当にただそれだけなのですが、立ち上がりの瞬間の「両足への荷重と重心移動のスムーズさ」が劇的に変わりました。

驚くほどスムーズに、軽く立ち上がれた瞬間。 全失語で言葉を発せない患者さんが、急にポロポロと涙を流し始めたのです。

本当に嬉しそうでした。 おそらく彼は、毎日毎日リハビリを頑張る中で「とにかく体を伸ばさなきゃ、伸ばさなきゃ」と過剰な努力を強いられ、立ち上がることに途方もない大変さと息苦しさを感じていたのでしょう。それがフッと軽くなった。その安堵と喜びの涙でした。

担当していたスタッフの分析力や治療スキルが、まだ不足していたことは否めません。しかし、自分一人で抱え込まず、「迷ったから上司(私)に相談する」という行動をとってくれた部下たちは、非常に信頼できるセラピストです。そのSOSがあったからこそ、患者さんにこの変化を提供できたのですから。

楽しいことをやりたいなら、楽しちゃダメだ

患者さんは、声に出して「ここが辛い」「こういう風に動きたい」と言えないことが多々あります。今回の失語症の方であればなおさらです。 その言葉なきサインを身体から感じ取り、汲み取って、より楽に、より安全な動きを教え、導いていく。それが私たち理学療法士の仕事です。

より良いものを提供するためには、私たちは一生学び続けなければなりません。 でも、昨日確信しました。綺麗事ではなく、私は、あの患者さんの涙一つのために、あの瞬間の喜びを味わうために、ずっと学び続けているのだと。

昨日私が行った治療の「手技」自体は、脊柱を一個一個屈曲させるという、高等な技術もいらない大したことのないものです。しかし、その適切かつシンプルなプログラム(答え)にたどり着くまでの推論の道のりは、決して平坦ではありません。しんどい思いや、苦しい経験、膨大な知識の蓄積の上に成り立っています。

甲本ヒロトさんが、こんなことを言っていました。

本当にその通りだと思います。 いい治療がしたい。患者さんに喜んでもらいたい。ともに感動する瞬間を味わいたい。 そういう「楽しいこと」をやりたいのなら、セラピストは思考や学びにおいて、絶対に楽しちゃダメなのです。大変な思いをして、悩み苦しんだその先にしか、本当にシンプルで美しい答え(治療法)は待っていません。

この感動を忘れないため、自分自身の備忘録としてこの記事を残します。

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