家庭は人生における最小組織。家庭を作れずしてマネジメントは語れない。

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今日は仕事から少し離れたある休日の話。久しぶりに家族全員の予定が完全に空いた空白の午後。少し家から離れたスーパーマーケットで夕食用のピザを買い、夕方にはみんなでリビングでゴロゴロし、そのあとテーブルで並んで子供たちは宿題をする。一緒に私もリハビリの勉強。勉強に飽きたら子供達と庭で、身体操作の練習を兼ねたペットボトルを頭に乗せて、落とさずにどこまで歩けるか勝負。そのあと息子と少しだけシュート練習。夜は一緒にお風呂に入り、テレビミセスで見た「大人しりとり(子供の知らない言葉だけでやるしりとり)」で大笑い。

振り返ると、この日は子どもたちの方から、いつも以上に積極的に話しかけてきたり、遊びに誘ってきたりしていました。

その姿を見て、私はハッとさせられました。 これは、以前私が職場のマネジメントで大失敗した「病棟の空気」と全く同じ構造だったのです。

「返報性」ではなく「心理的安全性」

私は70名のスタッフを抱える理学療法士として、妻もフルタイムで働いており、日々膨大なタスクと時間に追われています。私もともとだらしない性格ですが、役職上責任もあるし、妻はじっとしていられない性格もあり、気づけば子どもたちの予定も含め、休日のスケジュールは常にパンパンに埋まっていました。

「早く準備しなさい」「次は〇〇の時間だよ」 予定をこなすことに必死になっている時、親の醸し出す空気は間違いなくピリピリしています。そんな「余裕のない上司(親)」に対して、部下(子ども)が雑談やささいな相談を持ちかけられるはずがありません。

日曜日の午後、子どもたちが楽しそうだったのは私たち親から圧が消えたことで、リビングに「何を話しても大丈夫」という『心理的安全性』が生まれたからかもしれません。

これは前回の記事で書いた、「部下が違和感を報告してこない問題」と全く同じです。 上司がタスクに追われ、常に余裕なく動き回っている組織では、部下は「今話しかけたら迷惑だろう」と口を閉ざします。コミュニケーションの欠如は、部下のスキル不足でも愛情不足でもなく、単にリーダーが「余白」を設計できていないシステムエラーなのです。

願望を捨て、「余白」をシステム化する

ユダヤ教には「シャバット」と呼ばれる、仕事を休み、機械にも触れず、何もしない休息日を設ける文化があります。意図的に空白を作ることで、人は心を整えることができるという合理的なシステムです。

共働き家庭で「週に一度くらいは、家族でゆっくりする時間を作りたいね」 くらいの気持ちでは絶対に余白など生まれません。日々の業務や外圧は、空いた時間を容赦なく埋め尽くしにきます。

必要なのは、マネジメントと同じ「システムの導入」です。 偶然予定が空くのを待つのではなく、スケジュール帳の最初から「この日の午後は一切の予定(習い事も仕事も)をブロックする」という『余白の天引き』を強制的に行うこと。

家庭というコミュニティにおいて、親が意識的に余白(シャバット)を設計し、心理的安全性を担保しなければ、子どもたちの小さな変化や本音を見落とします。

そしてこれは当然、私が率いる組織づくりにもそのまま当てはまります。 部下に「気づけ」「報告しろ」と求める前に、管理者である私自身が、現場の業務からノイズを減らし、彼らが呼吸できる「余白」を物理的にシステムとして作らなければならない。

リビングでの大笑いを通して、管理職としての己の未熟さと、システム設計の重要性を痛感した、学びの多い日曜日でした。

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