「43歳頂天論」のリアル。40代半ばの全盛期を「現状維持の退屈」で終わらせないためのEQハック

中堅・管理職の悩み解決

「40代半ば、今が人生とキャリアのピークである」――。 角幡唯介さんの名著『43歳頂天論』の本質が、40代半ばを迎えた今、痛いほどリアルに、そして心地よく腑に落ちている気がします。

職場でそれなりの影響力、発言力を持ち、周りには同じ方向を向いて一生懸命頑張ってくれる部下や、支えてくれる仲間がとてつもなく多いという感覚。かつては「単なる仲良し組織(ぬるま湯)なのではないか」と心配したこともありましたが、今や確実に実績・結果が伴う強い組織へと変貌しています。もちろん多々トラブルもあるし、同僚にピリッと厳しい要求を突きつける場面もありますが、それすらも組織を良い方向へ回すスパイスになっています。むしろそれが無くなったら、それこそぬるま湯になるだろうという経験上の確信もあります。

ふと周りを見渡したとき、私は他の人よりも圧倒的に「ストレスなく、自分のやりたいように、生きたいように仕事をさせてもらえている」と感じます。ずば抜けて年収が高いわけではないかもしれませんが、それなりに生活には困らず生きていけます。この圧倒的な働きやすさと幸福感の源泉泉はどこにあるのか一度考えてみたい。

最近目にしたある論文が、一つの答えを教えてくれました。 ラトガース大学の心理学者ダニエル・ゴードマンの「生涯年収や社会的成功において、IQ(知能指数)よりもEQ(心の知能指数)が高い人の方が優れている」という研究データです。

EQとは、自己認識、感情のコントロール、共感力、そして対人関係を構築する能力のこと。IQ(先天的要素が強い)とは違い、EQは後天的なトレーニングでいくらでも向上させられます。であれば、40代以降の戦い方は「EQへの全振り」が一択です。

40代の「あり方」は、すべて姿勢と顔つきに出る

40代を過ぎると、その人がEQを磨いてきたか、それとも傲慢に生きてきたかが恐ろしいほど「体」に現れます。これは私の完全な主観ですが、考え方が自己中心的で傲慢な人は、年齢とともに体がだらしなく重たくなっていきます。

一方で、自分自身、他者、そして組織や社会の現実をありのままに受け入れ、自分のやるべきことに淡々と注力している人は、何歳になっても姿勢がシュッとしていて、立ち姿が凛としています。目には適度な緊張感と輝きがあり、表情の力が死んでいません。

さらに40代半ばになると、臨床(リハビリ)でもマネジメントでも「トラブルの攻略法」が見えてきます。部下の悩みへの立ち回りも、難解な患者さんへのアプローチも、「こうすればこうなるだろう」という確固たる直感(経験に裏付けられた戦術)があるため、いちいち狼狽しなくなります。どんな状況からでも、多少なりの変化を確実に作り出せる力がついてくるのです。

「攻略法がわかった先」に待っている、最大の敵

しかし、いろんなことが分かってきて、狼狽しなくなった先には、ある残酷な裏面が存在します。 それは、「かつて暗闇に突っ込んでいく時に感じていた、あのジリジリするような不安や恐怖が消えたことによる、かすかな退屈(刺激の少なさ)」です。

幸か不幸か、今の私には組織の方針変更や診療報酬改定といった外部環境の荒波が容赦なく降ってくるため、強制的に退屈はさせてもらえてません(決して嬉しくはありませんが)。しかし、もしこれらを退けて自分の安全圏にこもってしまえば、待っているのは「全盛期の終わり」です。

40代半ばは、人生の歩み方が分かってくる時期です。 だからこそ、ここが大きな分かれ道になります。

分かったことに甘んじて、手に入れた攻略法をただ回すだけの「現状維持」に逃げ込むのか。それとも、学び方が分かったからこそ、さらに未知の領域へのチャレンジへ打って出るのか。

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