フランスの哲学者、アランがこんな言葉を残しています。
「幸せって個人の権利じゃなくて、他者に対して果たすべき『義務』だ」
あなたにとって大切な人って何人かいますよね? その人がいつも辛そうにしていたり、イライラしていたり、悲しんでいたらあなたはどう感じますか? きっと同じような気持ちになりますし、100%幸せではないはずです。
だからあなたは、あなたのことを大切にしている人——例えば家族、友人、パートナー、同僚たちのために「幸せである義務」があるんです。あなたが不幸せだったら、その人たちも不幸せになってしまうからです。
自己犠牲は尊いですが、本末転倒になっていませんか?
この言葉を知った時、私は目から鱗でした。
おそらく日本人の多くは献身的で、利他的で、自己犠牲的になりやすい。(別に自分がそれに当てはまるとは思っていませんが笑) 私の周りにもたくさんいます。同僚のために、上司のために、子供のために、自分を犠牲にして日々奮闘している人が。
そのこと自体は崇高なもので、決して否定されるべきものではありません。 ですが、それが原因で自分自身を顧みずに、体調を崩したり、イライラして余裕がなくなってしまっていては、本末転倒にもなり得るという話なんです。
「幸せを得る方法」は自分にしかわかりません
そして、自分を幸せにできない人は、他人も幸せにはできないと私は思います。
なぜならば、「幸せ」というのは偶然現れるわけではなく、自分の行動によって得られるものだからです。 それに、「幸せ」を感じるというのはあくまで主観です。誰かと同じことをすれば自分も得られるという類のものではないので、結局は「自分しか自分の『幸せを得る方法』はわからない」のです。
今までこのブログで、いくつか「幸せ」になるための内容を書いてきました。 走ったり、他人の怒りを理解したり、余白を作ったり、上司や職場に対する考え方をハックしたり。それは具体的なものではなく、多くの人に当てはまるものを書いたつもりです。
これら全て、結局は「幸せ」に近づくための基盤作りなのかもしれません。 その土台の上に、あなた独自の幸せを重ねていったらいいんです。
私の幸せは「家族で夕食を一緒に摂ること」です
ちなみに、私にとっての幸せは「家族で夕食を一緒に摂ること」です。
そんなこと?と思われるかもしれません。でも、昔からそう思っていたのだから仕方がないんです。
そしてこれが、意外と難しい。 意識しないと仕事の帰りが遅くなりますし、子供達も習い事が増えます。そもそも小学校を卒業したら、部活などで一緒に食べる機会なんて無くなるかもしれません。 そう考えると、私のこの幸せもそう長くなく終わってしまうかもしれないんです。
だからこそ、あなたも「自分が幸せと感じられること」をまず挙げてみてほしいんです。そしてそれを、たくさん自分の生活に組み込んでいく。
そうすることで自分が幸せになる。それがイコール、あなたを大切に思う人が間接的に幸せになっていくことに繋がります。そこに注力してほしいなと思います。
最後に、甲本ヒロトさんの言葉を伝えたいと思います。
「幸せを手に入れるんじゃない。幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ」

