今、私は40代前半。 正直に言って、20年近い理学療法士人生の中で、今が一番「臨床」が楽しいのです。楽しくて楽しくて仕方がない。
かつては「迷路」だったリハビリが、今は「地図」を持っているかのように解像度が高くなりました。患者さんの変化を自分の手で生み出している実感が、約1時間という短い時間の中で、ダイレクトに跳ね返ってきます。 もちろん、うまくいかないことも多々あります。だが、それは迷路の行き止まりに当たっただけです。引き返して別の道を選べばいい。昨日の失敗を糧に次の一手を打てば、翌日には患者さんが泣いて喜んでくれることだってあります。
ミュージシャンも建築家も映画監督も、自分の表現で誰かを感動させることに命を燃やすでしょう。リハビリは「患者さんの数だけ」その感動のチャンスがあります。自分の知識と技術、そして直感という武器を研いでおけば、私たちは毎日、誰かの人生を変える瞬間に立ち会えるという実感が今確かにあります。
最近、角幡唯介氏の『43歳的頂点』を読んで、私なりの半生を記事にしてみようと思いました。私はまだ43歳には至っていませんが、その「人生の頂点」という感覚の入り口に、一歩足を踏み入れている感覚があるのです。
だからこそ、ここらで少し、その「頂点」を目指してきた不細工な歩みを振り返ってみたいと思います。
20代前半:毎日、仕事を辞めたかった
20代前半は正直なところ、毎日仕事を辞めたかった。なぜなら、自分が介入しても患者さんが一向に良くならなかったからです。
私はキャリアの多くを「回復期リハ病棟」で過ごしています。回復期の命題の一つは「ADL(日常生活動作)の向上」です。つまり、歩かせられない、立たせられないセラピストは、患者さんから信頼されません。「若さ」という看板だけで勝負していた当時の私にとって、それは耐え難いプレッシャーでした。
私はこの現状を打破しようと必死でした。 昼休みは食事しながら参考書を読み漁り、夕方は見習い美容師のように居残ってハンドリングの練習をしました。先輩から情報収集して外部の勉強会にも片っ端から出向きました。数十人いた同期の中で、自分が最も努力しているという自負もありました。
だが、結果が全く出ない。 それどころか、ろくに勉強もしていない同僚の方が、患者さんや上司から高く評価されていました。この「理不尽な格差」に、どれほど心が折れそうになったか分かりません。この理不尽さはリハビリという数値化できない特性によるところが大きいのでしょう。当時はおそらく上司の主観による評価が大きかったのではないかと思います。
20代の焦燥感:金と時間をドブに捨てている感覚
当時はとにかく、お金と時間を自分の研鑽に注ぎ込んでいました。 ですが、どれだけ投資しても「自分の中に何かが得られている」という実感が全く湧きませんでした。 「何か決定的な間違いをしているのではないか?」「この投資は将来、1円の役にも立たないのではないか?」 そんな焦燥感と不安が、常に頭の片隅にこびりついていました。
一方で、20代特有の有り余る体力で、朝まで飲んでそのまま仕事に行くような破天荒な遊びもしていました。今思えば、恥ずかしながら仕事でのフラストレーションを、外の世界でエネルギッシュに発散していたのだろうと思います。 その角幡氏のいう「中身ががらんどう」な時期に、外の世界に触れ、泥臭く失敗し、自己投資を続けたことには大きな価値があったかもしれないと今は思えます。
20代の君たちへ:今は「ブレイクスルー」の前夜と捉える
今、20代で「いくら勉強しても成果が出ない」と絶望している君に言いたい。 20代はそれでいい。とにかく失敗しろ。
本を読み、人に会い、研究し、発表し、そして現場で惨敗する。 20代は、成長曲線が爆発する「ブレイクスルーポイント」を迎えるための下積み時代です。リハビリの技術だけでなく、コミュニケーション、プレゼン、社会的行動……あらゆる面で恥をかいた方がいい。
30代、40代になった時、言葉に重みが乗る人間と、中身がスッカラカンな人間。その差は、20代でどれだけ「不毛に思える苦労」を積み上げたか、そして「修羅場」を潜り抜けてきたかで決まります。 20代で苦労から逃げた人間が、30代、40代で惨憺たる姿になっているのを、私はこの目で嫌というほど見てきました。
40代の「頂点」から見える景色は、20代で流したあの「不毛という名の焦りの汗」の上に成り立っています。 とりあえず、私の20代はそんな泥沼の中からのスタートでした。


