先日、息子のサッカーの試合を観ていた時のことです。 ある場面で、明らかにハンドがあったにもかかわらず、審判はそれを見逃してしまいました(両チームの保護者側からははっきりと見えていたので少し野次も飛んでいました)。意図的だったのか、死角で見えなかったのかは分かりません。
だが、私が気になったのは「その後」です。次に相手チームにも同じようなハンドが起きた時、審判はそれも「取らなかった」のです。
おそらく審判の頭の中で、「さっき見逃した手前、今度だけ反則を取るのは不公平になる」という無意識の『帳尻合わせ』が働いたのでしょう。一度の「見逃し」が、その後のゲーム全体のジャッジ(基準)を歪めてしまった瞬間でした。
この光景を見て、私はハッとしました。 これと同じような「見逃しの連鎖」、医療現場でもよく起こっていないだろうか?
先輩の「ルール違反」を見つけた時の、あの胃が痛くなる葛藤
以前、私より年上の他職種の先輩が、本来3単位(60分)で算定すべきリハビリを、2単位(40分)程度の時間で切り上げているのを発見したことがありました。
正直に言うと、その時はめちゃくちゃ嫌な汗をかいたし、胃が痛くなりました。
相手は年上の先輩です。「今回だけかもしれないし、波風を立てたくない」「わざわざ指摘して、関係性が悪くなったらどうしよう」。そんな言い訳が頭をぐるぐると駆け巡り、見なかったことにしようかという誘惑に駆られました。 まだ若く、気の弱かった私にとって、面と向かって注意するのは本当に怖いことでした。
でも、私は勇気を振り絞るのではなく、「ある恐怖」を想像して、自分を奮い立たせました。
「言えない空気」は、未来の自分の首を絞める
もしここで、私が先輩のルール違反を見て見ぬフリをしたらどうなるでしょう。
数日後、今度は自分の後輩が同じように時間を誤魔化したとします。その時、私は胸を張って後輩を指導できるでしょうか。 絶対にできません。「先輩には何も言わなかったのに、なぜ自分だけ怒られるんですか?」という無言の反発に耐えられなくなるからです。
これはサッカーの審判と同じです。 最初の一回を見逃してしまえば、その後、誰に対してもフェアに笛を吹けなくなります。 「あの人は人によって態度を変える」という不満が裏で広がり、最終的にチームは崩壊してしまいます。過去に何度も失敗してきたからこそ、その結末だけは痛いほど分かっていました。(息子のサッカーの試合は崩壊するほどのことはありませんでしたが、負けた相手チームの親御さんたちは不満爆発でした)
だから私は、先輩に「時間通りに実施してください」と伝えてみました。その時の私の声は少し震えていたかもしれません。でもその先輩は、バツの悪そうな感じで、不足分のリハビリをしに向かいました。誰にでも過ちやサボってしまうことはあります。問題行動はしたものの相手の人間性がある人だったので、その後の関係性が悪くなることはありませんでした。本人も反省してくれたのでしょう。
勇気はいらない。「ルール」を盾にしろ
マネジメントにおいて大切なのは、強靭なメンタルや勇気で相手を論破することではありません。相手が上司であろうと、ベテランであろうと、新人であろうと、「完全に同じ基準(ルール)でジャッジする」こと、ただそれだけです。
「私が怒っている」のではなく、「病院の基準から外れていますよ」と事実だけを伝えるのです。 自分という人間を主語にするから怖くなるのです。「ルール」を主語にして、盾にしてしまえばいいのです。
最初の一回、笛を吹くのは本当に怖い。 でも、その「小さな見逃し」をしないことだけが、結果的に気の弱い自分自身を守り、チームの信頼を繋ぎ止める唯一の防具になるのです。

