現場の中間管理職として働いていると、避けては通れない「職種間の意見対立」があります。先日も、私の職場でこんなことがありました。
理学療法士のA君が、担当している患者さんの「移動形態」について、看護師さんに相談を持ちかけた時のことです。「身体機能が上がってきたので、介助なしの『自立』にステップアップさせたいんです」
それに対し、担当看護師のBさんは首を縦に振りませんでした。 「病棟ではまだふらつきがあるし、転倒のリスクが怖い。自立させるのはまだ早いと思います。というより将来的にも難しいんじゃないでしょうか」
理学療法士は「身体機能の回復」を目標に、少しでも介助を減らしたい。 看護師は「24時間の安全と生活」を預かる立場として、リスク管理を最優先したい。 どちらも患者さんのことを想っての正義なのですが、この狭間で「自立か、介助か」という二択の議論になると、どうしても平行線になってしまいます。
どちらかの意見を立てれば、もう一方が「自分の専門性が否定された」と感じてしまう。そんな難しい状況をどう仲介すべきか。私がたどり着いた一つの最適解をご紹介します。
全国民が読むべき名著『具体と抽象』
この問題を解くヒントをくれたのが、細谷勲さんの著書『具体と抽象』でした。この本は本当に面白く、「世の中の仕組み」を鮮やかに解き明かしてくれます。
例えば、「リンゴ」と「果物」という言葉。 「リンゴ」は具体的なものです。「リンゴの絵を描いて」と言われれば、誰もが赤い丸い果実を思い浮かべ、統一された認識を持つことができます。
一方で「果物」は、より抽象度が高い概念です。「果物の絵を描いて」と言われたらどうでしょう? バナナを描く人もいれば、ブドウを描く人もいる。抽象度が上がると、人によって想像するものがバラけ、より大きなグループ(概念)を指すようになります。
私たちは教育課程を経て、具体的な数字から、XやYといった数学的な記号(抽象)を扱うようになります。この「具体」と「抽象」を行き来する視点こそが、複雑な問題を整理する鍵なのです。
「移乗の自立」は目的ではなく、具体的なツールに過ぎない
この思考を、先ほどの「理学療法士VS看護師」の構図に当てはめてみます。
理学療法士がこだわる「歩行」や「移乗」を具体化・細分化していけば、関節の角度や立脚期・遊脚期といった専門的な分析になります。しかし、逆に抽象度を上げてみると、それは「移動という目的を達成するための一手段」に過ぎません。
私たちの仕事の最たる目的は何でしょうか? それは「移乗を自立させること」そのものではなく、「その方が安全・安楽に、その人らしく生活していくこと」のはずです。「自立」は、その大きな目的を達成するための、一つの具体的なツールでしかないのです。
ここだけに焦点を当てすぎてしまうと、手段が目的化し、対立が生まれます。
中間管理職として、議論のステージを変える
私は看護師長に、こう提案しました。 「今は『できる・できない』という具体的な手法の話で止まっています。そうではなく、看護師の視点から『その患者さんが施設に退院した後、どんな生活を送ってほしいか』という一段上の目的(抽象)を、看護スタッフ間で話し合ってみてくれませんか?」
患者さんは回復期病棟を退院した後、施設へ行くことが決まっています。 施設でどんな過ごし方をすれば、さらなる回復が促進されるのか。その方が生き生きと生きていくために、今必要な支援は何なのか。
同じ問いを、担当の理学療法士A君にも投げかけてみようと思います。 「自立」という点ではなく、「退院後の生活」という線で議論を統合していく。そうすることで、看護師も理学療法士も、同じ方向を向いて建設的な話ができるようになると確信しています。
今のところの経過はここまでです。数日後、両者がどのような答えを出したのか、またここでシェアしたいと思います。
