理学療法士の考える立ち上がり動作について(屈曲相編)

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今回は、理学療法士向けに少し専門的な話をしようと思います。専門的とは言いましたが理学療法士を目指す養成校の学生も若手の理学療法士も、または脳卒中や関節疾患を患って椅子から立つことに苦労を感じる方々にも役立つ内容にしたいので、できるだけ専門用語を使わず分かりやすい内容にしたいと思っています。

人は夜寝ている状態から目が覚めたら、どんな形であれ立ち上がらないと始まりません。ベッドから立つ、布団から立ち上がる、そこから1日が始まります。車椅子を使っている人もベッドから乗り移るためにも一度は立ち上がります。四肢が欠損している方でも太ももや上腕を使って全身を持ち上げて元の場所から違う場所に移り変わります。この1日の始まりである【立ち上がり動作】が難しいと、身体的だけでなく心理的、または社会的にも問題が生じてしまいます。理由は、起きて立つことが面倒になれば当然、ベッドで寝る時間も増えますし、その分外に出て活発に行動しようという気持ちが少なくなってしまうのは当然のことです。それだけ一人の力で努力することなく【立ち上がる】ことができることがとても大切になります。今回は【立ち上がる】ということを深掘りして、理学療法士の方には対象者を分析・治療するためのツールとして、また立ち上がることが難しい方にとっては、少しでも楽に立てる方法を見つける助けになれば幸いです。

椅子から立ち上がる一連の動作は、3つの段階に分けて考えるとわかりやすいです。まず座った状態から上半身を前に傾けていく【屈曲相】、お尻が椅子から離れる【移行相】、お尻が離れてから立つまでの【伸展相】の3つに分けられます。それぞれの相で必要な関節の運動や使う筋肉は全く違うので、どの相が一番大変か、どこでつまづいているかによって治療するポイントが変わってきます。まずはそこを見極めましょう。例えばゆっくり立ち上がり動作をした時に、屈曲相で体が前に曲がったり、右か左に傾いたりすれば屈曲相に、移行相で動きが急に早くなる場合は移行相に何かしらの問題がある可能性があります。まずはざっくりとどの相を治療する対象にするか決めてみましょう。

足の筋力が低下してしまったり、関節が硬い人は、手を膝について体を大きく前に倒して「よいしょ」と立つ人がいます。これは筋力低下や関節の可動性低下により重心を高く維持することができないため、重心を下げ、手を使ってお尻を浮かせようとします。効率的に立ち上がることで一番大切なことは、重心は下がることはない、ということです。下の図は、健常の方が立ち上がる時の重心の動き方です。骨盤がまっすぐの人(中間位)、前に傾いている人(前傾位)、後ろに寝ている人(後傾位)のいずれにおいても重心は屈曲相において5センチも下がりません。棒が倒れれば棒の重心の位置はどんどん下方向に落ちていきます。人も同じように股関節を軸に体を前に倒しているわけですから通常は重心が下がると考えがちですが、そこで下がらないということは体が上に向かって伸びているということになります。ここはとても大切なポイントなので押さえておきましょう。

 

参考:鈴木克彦 他.健常者を対象とした骨盤後傾位の立ち上がり動作における体幹・下肢の運動学および筋電図学的分析

さて、まず立ち上がりの最初に始めるのがこの屈曲相です。この相の動きを可能にする身体の機能についてまとめてみます。

何事も意思が大事

まず一番大切なことは「立ちあがろう」とする意思です。当たり前だと思われる方も多いと思いますが、脳卒中などの病気をしてしまうと、この意思そのものが失われることもあります。理学療法士もそのことを忘れ、本人の意思ではなく、療法士側の意思やタイミングで立つ練習をしがちです。何かをしようとする「意思」を司る脳の部位は、主に前頭前野という脳の前の方にある部分です。前頭前野は思考や計画、意思決定、動機づけなどの高次な認知機能を担い、行動を起こすための意思や判断を生み出します。そのためこの部位が脳卒中や事故などで障がいされると、高次脳機能障害と言ってうまく物事を考えられなくなったり、やる気がなくなったり、性格が少し変わってしまうことがあります。その人らしさを作っている部分と言ってもいいかもしれません。話を戻して、立ち上がるにはまず前頭前野が「立ちあがろう」という意思や「どうやって立ちあがろう」という計画を作り出します。そのため、立とうとする意思がない患者様の場合は、こちらから指示をして本人が立とうと意識する必要があります。すなわち前頭前野を使ってもらうのです。それが動作のスタートの合図になるからです。

立ち上がる前から足は使っている

次に働く場所は足部です。私が小学生の頃流行った遊びがありました。やったことがある人もいるかもしれませんが、椅子に座った人のおでこに指をつけるだけでその人は立てなくなる、というものです。今思えば当たり前だと思えますが、当時は不思議で友達たちと試したりしていました。釈迦に説法になりますが、立ち上がるためには上半身を足の上にまで傾けなければなりません。重心が足の裏にまで載せないとお尻が上がっていけないからです。そのために必要な部分が足部になります。特に前脛骨筋という足関節を背屈させる筋が働きます。

また学生時代の話になりますが、箒を逆さにして指で掴まずに手のひらの上でバランスを取って、どれだけ長く立たせられるか、という遊びを友達としていたことがあります。小難しくいうと箒の重心をいかに手のひらの中に維持するか、ということが肝になります。例えば箒が少し右に傾いたら、手のひらをたくさん右に移動して箒を左に戻します。すなわち箒を左に倒したいときは手のひらは右、前に倒したいときは手のひらは後ろにするわけです。これを難しい言葉にすると重心-反力中心モデル(COMーCOPモデル)と言います。

立ち上がりに話を戻しますと、重心は前にしなくてはならないと前述しました。箒でいうと前に倒したいので、支える部分は後ろにこなくてはなりません。すなわち手のひらにあたる部分は足の裏になります。足の裏でも踵がわに重心がかかっていく必要があります。それを担っているのが【前脛骨筋】です。同時に【ヒラメ筋】の長さ、遠心性収縮(筋が働きながら伸びていく作用)も必要です。これは研究でも報告されていて、下の図の赤い線が縦に記されていると思います。これは左の人も右の人も同じように重心が立ち上がる前には必ず踵の方向に動いていたということを示しています。まずここでは踵に重心がかかることが大切だということを覚えておいてください。

 

田島里佳.椅子からの立ち上がり動作における膝関節屈曲角度と足底圧 中心点との関係.昭和医会誌 第61巻 第2号.2001より引用

最重要部位の骨盤について

次は少し上になって骨盤です。立ち上がりの屈曲相において骨盤はもっとも重要な部位になります。なぜなら、骨盤は上半身と下半身を繋いでいる部分であり、重心を前に動かすための【軸】になるからです。

骨盤が前に傾くことを前傾と言いますが、その前傾の運動ができるかどうかで立ち上がりに影響が出ます。では前傾するためには何が必要か?それは

  • 深層筋:腹横筋・多裂筋・横隔膜・骨盤底筋群の同時収縮(コアスタビリティ)
  • 表層筋:ハムストリングス近位部・腸腰筋・大臀筋・大腿四頭筋近位部の同時収縮

です。これらの筋群が同時に収縮することで骨盤が安定します。骨盤が安定するとその上に乗っている脊柱が動きやすくなり、より自由度が得られます。脊柱の自由度が得られると背筋は伸びやすくなるので、結果的に重心は軽く上方向に持ち上がります。すなわち身体は上下方向に伸びている状態になりますので、重心を軽く前に傾けるだけで少しずつ傾斜していきます。それが屈曲相になるわけです。決して股関節を強く曲げたり、腰を反ったりして前に重心を動かしているわけではありません。

さらにこの屈曲相で、真っ直ぐ体幹の前傾を作ろうとした時に、左右に骨盤が傾斜できることも大切です。右にも左にも対照的に重心移動ができないと、正中位(真ん中)では動けません。右に重心移動できるけど左には移動できない人は立ちあがろうとすれば必ず右に寄りながら立ち上がります。人の脳は楽に動ける方に動く傾向にありますから当然そうなります。ですから左右対称に骨盤が傾斜できることは必要不可欠になります。

肩・手・首はいつだって自由にしておく

屈曲相の最後は、肩甲骨・上肢・頸部・頭部です。要するに上半身です。上半身に関しては、細かくどの筋が働くべきかというのは割愛しますが、押さえておくべきは【自由である】ということです。肩甲骨を動かしてみる、頭部を動かしてみる、手を動かしてみると、健常者でも意外と重かったり動かない人が多いです。これらの部位が動かないということは、その部位に何かしらの問題があるか、もしくは前述した深層筋であるコアスタビリティがうまく機能しておらず、骨盤や脊柱が安定していないために肩甲帯や頸部が固定されている可能性も考えられます。どちらに問題があるかは、どちらを治療しないと分かりませんが、これらの間には影響しあう相互関係があります。いずれにせよ上半身は自由であることもまたこの屈曲相を成立させるために必要な要素になります。

立ち上がる動作一つ、さらにはその中の屈曲相だけでもいろんな要素があるので、理学療法士にとっては評価や分析・治療のアイデアを広げるためにはいろんな部分を見ていく必要があります。いろんな視点から患者様の問題点を見つけ出しましょう。また立ち上がりが難しい方に対して何をすればいいかはここで全てを表現することが難しいですが、まずは正常の立ち上がり動作に必要な要素を知ることが大切なことです。それを知った上で、自分に足りていない部分はどこなのかを探りながら自分なりのトレーニングを見つけ出すことが大切ですし、それでもわからない場合は何かしらの手段でお手伝いができれば幸いです。もしかかりつけの病院で理学療法士の方と接することができればそこで質問すればいいと思います。そして学生さんにとってはレポート作成や担当症例の動作分析の役に立てたら幸いです。

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