あの人は器が大きい、小さい。私たちは日常でよくこんな言い方をします。では、その『器』は一体どうやって作られるのでしょう。今日は『器』についての私の考えを書いてみようと思います。
私の考えは、『器』は自分で作り、中身は他人が入れてくれる、ということ。
器を作らなかった元上司の末路
私の元上司の話をします。
その人は非常に野心家で、政治的に立ち回るタイプ。裏では自分に迎合しない人や部下の誹謗中傷を恥ずかしげもなく口にし、パワハラ気質で部下からの信頼を極度に欲していました。それでいて、気に入った部下(特に女性)だけをひいきし、自分に都合のいい人間だけを周りに集めて、自分の「城」を築こうとするタイプの人間でした。皆さんも思い当たる人がいるのではないでしょうか。
当時の彼は、周りから見れば職場でのポスト、所得、周囲からの信頼はあるように見えました。その元上司は理学療法士の地方支部でも良いポジションを得ており、各地での講習会でも講師をされていました。しかし案の定、一年も経たないうちに各所属のメンバーから批判の声が上がり、結局そのポストを追われることになりました。最終的には、他部署や経営陣からも総スカンを食らい、左遷されてしまいました。
彼はなぜポジションを一年で追われたのか。おそらくスキルがなかったからではありません。マネジメントにおける権力(パワー)の配分を致命的に間違えていたからです。彼は役職という『ポジションパワー』と、一部の部下をひいきする『恐怖政治』のみに依存してしまい、周囲からの信頼に基づく『リレーションパワー』の構築を完全に怠っていました。権力のバックボーン(例えば経営陣の後ろ盾など)が揺らいだ瞬間、彼を支える政治的基盤は何一つ存在せず、組織のガバナンスによって必然的に排除されたのです。
彼が手にしたものを維持できなかったのは、周囲が彼の器を作らなかったからではありません。彼自身が『リスクを引き受ける』という管理職としての器を自ら構築することを拒否したため、そこに信頼という水が一滴も貯まっていなかったからです。それはまるで浅いお皿に入れた水が少しの動揺でどんどんとこぼれ落ちてしまうように見えました。
有事のセーフティネットとなる「信頼残高」』
組織において、大きな失敗やトラブルを起こした際、即座にポジションを追われる人と、周囲から守られ再起の機会を与えられる人がいます。この違いはどこから生まれるのでしょうか。決して『愛されキャラ』かどうかだけではありません。平時において、その人物が組織内にどれだけの『信頼残高(ソーシャル・キャピタル=社会関係資本)』を蓄積していたかという、極めて客観的な力学によるものなのです。これが私たちがよく口にする『器』が指すものなのです。
例えば、部下に対して『挑戦し、失敗する権利(権限)』を与え、いざ失敗した時には自分が泥を被る防波堤としての役割を先回りして引き受ける。この『他者のリスクと責任を背負い込む構造的キャパシティ』こそが、周囲から見た時に『器』と呼ばれるものの正体です。恩を着せるためのギブではなく、責任を引き受けるからこそ、そこに信頼が注がれるのです。
もちろん防波堤と言っても、単に謝罪する『覚悟』だけでは足りません。トラブル時の尻拭い役だけでは部下の信頼残高は増えません。経営陣からの追及を論理的に跳ね返す『政治力(ポジションパワー)』や事態をリカバリーする『圧倒的な実務能力』が伴って初めて、そのキャパシティは本物の『器』として機能します。ここは管理職の腕の見せ所です。元上司の過ちは、ポジションパワーの刃を『部下を支配するため(下向き)』に使ったことです。真の管理者が持つべきポジションパワーとは、部下を守るために『経営陣や他部署と交渉・対立するため(上・外向き)』に使うものです。権力のベクトルを間違えれば、器は一瞬で崩壊してしまいます。
もちろん臨床における医療事故やコンプライアンス違反は論外ですので、ここで言う部下の『失敗する権利』とは、ぬるま湯の仲良しクラブを作ることではなく、患者のADLとQOLの向上という『極めて高い要求水準(規律)』をクリアするために、新しいアプローチや業務効率化を試行錯誤する権限のことを指します。高い目標に挑むからこそエラーは起きる。致命傷を防ぐシステムを作り、かつその権限を与えた上で、枠内でのエラーはすべて管理者が背負う。
さらには、管理者が背負ったエラーは、ただ処理するのではなく、『個人のミス』ではなく『組織の資産(共有知)』として還元し、次の臨床の糧にすること。これがエラーを許容し、学びに変換する仕組みを回すことになり、これこそが管理職の真の実務能力になります。こんな上司がいたら、部下は前向きに働こうという意欲が増えると思いませんか?それが真の心理的安全性であり、上司の『器』の構築につながるのです。
そしてその器がより大きくなるほど入るものも自然と増えていきます。肩書きや所得かもしれないし、信頼や愛情かもしれない。器の大きさに見合ったものが、注がれて溜まっていくのです。
器より大きいものは、あふれてしまう
ここから言えるのは、シンプルなことです。
器よりも大きいもの(地位・信頼・お金)を無理に手に入れても、いずれあふれてこぼれ落ちてしまうということです。地位だけを先に取りにいっても、それを支える中身がなければ長続きしません。
老子の『取らんと欲する者はまず与えよ』という言葉は、見返りを求めて媚びを売れという意味ではありません。管理職として組織を動かしたい(取りたい)のであれば、部下に『高い要求水準(規律)』を求める代わりに、『失敗できる環境』と『心理的安全性』をセットで与えよ、その結果部下からの信頼残高は増えていく、という意味だと捉えます。あなたの肩書きは、部下の挑戦とリスクを背負うだけの頑強な防波堤となっているか。それとも、権力というハリボテの城壁の裏で、今にも不満が溢れかえりそうになっているか。一度自分の『器』の大きさを点検してみるのはいかがでしょう。
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