この記事は2026年1月29日デバッグ済みです。
なぜ、人は忙しくなると「話すこと」を忘れてしまうのでしょう。
そして、気づいた時には、職場の空気が冷え、信頼が崩れかけている。
私がその問いの意味に気づいたのは、回復期病棟の立ち上げに追われ、心身ともに余裕を失っていた頃のことでした。
その経験を通して、職場の人間関係がどう変わっていくのか――そして“話す”ことの力を実感した出来事を、今回は書いてみようと思います。
私が回復期病棟の立ち上げに関わってからの最初の2年間は、今思い出しても胸が締めつけられるほどの混乱と苦労の連続でした。
特に、人の出入りの多さは深刻で、毎年2〜3割以上のスタッフが退職していったのです。
当時の私は、自分のリハビリ業務に加え、管理職としてのマネジメント業務や他職種との調整に追われていました。
立ち上げ期ということもあり、病棟としてのルールや仕組みづくりもまだ定まっておらず、毎日が試行錯誤の連続。初めての経験ばかりで、まさに「暗闇の中を手探りで進む」ような感覚でした。
当然、職場では他職種との衝突もあり、チームとしてのまとまりも欠けていたと思います。
忙しさのあまり、気づけばスタッフ一人ひとりの表情を見る余裕もなくなっていました。
「この忙しさを分かってくれ」「余計な問題を持ち込まないでくれ」と、心のどこかでそう思っていた自分がいたのを覚えています。
そんな気持ちが、きっとスタッフにも伝わっていたのでしょう。
時間が経っても職場に信頼関係は生まれず、冬になるとまた退職の相談が相次ぐ。
退職の報告を受けるたびに、心臓を掴まれるような思いでした。
上司への報告もしなければならないし、退職者の多さが自分の管理職としての評価を下げるように感じていたのです。
一人が辞めると、当然残ったメンバーの負担が増えます。
疲弊したスタッフの士気は下がり、また新入職員を迎えて教育に時間を取られ、さらに疲れが溜まる。
その疲弊が次の退職へとつながる――そんな「負のスパイラル」から抜け出せずにいました。
「どうすればこの状況を変えられるのか?」
正直、当時の私は全く見当もつかず、ただ毎日を必死にこなすことしかできませんでした。
一言で変わった視点
そんなある日、近隣の病院で仲良くしていただいていた先輩PTと話す機会がありました。
思い切って現状を相談すると、その先輩がこう言ったのです。
「今日、誰と話して、誰と話していないか覚えているか?」
突然の問いに、私は何も答えられませんでした。
誰と会話したのか、誰の顔を見たのか――すぐに思い出せない。
曖昧に笑ってごまかしたものの、その言葉は妙に胸に引っかかっていました。
とはいえ、その時はまだ「そんなことを意識して何になるんだろう」と、どこか反発するような気持ちさえあったのです。
➡️デバッグ:なぜ「質」より「量」なのか――心理学的な側面から
なぜ、たった数分の、中身のない会話が職場の空気を変えたのか。 当時は感覚的にしか理解していませんでしたが、その後心理学で「ザイアンス効果(単純接触効果)」という言葉を知りました。 人は、知ら
ない相手や中身のわからない対象に対して、攻撃的あるいは冷淡な反応を示しやすい。しかし、接触する回数が増えれば増えるほど、その対象への警戒心が薄れ、好意を持つようになるという心理作用です。ここで重要なのは、「会話の中身(質)」ではなく「接触した回数(量)」が鍵であるという点です。 月に一度、個室で1時間みっちりと面談をするよりも、毎日朝に「おはよう」と10秒言葉を交わす方が、信頼関係の構築には効果的なのです。私がやっていた「1週間以内に全員と話す」というルールは、まさにこの「接触頻度」を強制的に上げる行為でした。 深い話などしなくていい。ただ「敵ではない」「あなたを認識している」というシグナルを送り続けること。 これが、冷え切った職場に「心理的な安全性」という土壌を作るための、最初の一歩だったのです。私は、「ありがとう」と言う言葉をなるべく多く使うようにしています。特に私たち管理職は報告を受ける機会がとても多いので、報告後は必ず感謝を伝えています。管理者としては、些細な出来事でも報告してくれると対策が練れますし、知らなかったでは済まされないことが多いので、それだけで感謝すべきだと思っています。少し打算的ですが、部下も報告することのハードルが下がるので、どんどん報告するようになってくれるので、お互いWIN-WINです。
ザイアンス効果の注意点⬇️
- 接触回数には限界がある:一般的に10回程度がピークとされ、それ以上は効果が薄れたり、「しつこい」と感じられることもある
- ネガティブな印象がある場合は逆効果:すでに嫌われている対象への接触は、嫌悪感を増幅させる
- 「良い接触」が重要:ただ会うだけでなく、相手にメリットのある情報提供など、ポジティブな接触を心がけることが大切
「話していない人」を可視化するという試み
翌日も職場は相変わらず忙しく、空気が変わる様子は全くありませんでした。
また今年も高い離職率のまま一年が終わるのだろう――そんな諦めが頭をよぎった時、ふと先輩の言葉を思い出したのです。
「誰と話して、誰と話していないか」。
藁にもすがる思いで、私は行動に移してみることにしました。
仕事が終わったあと、ノートを開いて今日関わったスタッフの名前をひとりずつ書き出してみたのです。
「誰と話した」「誰と話していない」。たったそれだけの記録です。
1日の振り返りに3分もかからない、小さな試みでした。
ですが、それを2週間続けてみて、思いもよらない発見がありました。
話した人と、話していなかった人が、きれいに2つのグループに分かれたのです。
しかも驚くべきことに、「話していなかった人たち」に対しては“話していない自覚さえなかった”ということ。
つまり、自分の中では「全員に気を配っているつもり」でも、現実はそうではなかった。
現実と認識のずれ。組織の中でこのズレが生じると、必ず問題が起こるものです。
2週間話していないということは、1ヶ月単位で顔を合わせても言葉を交わしていない可能性さえある――そう考えた時、背筋が寒くなりました。彼らの目には私はどんな上司に見えていたのだろう。
意識して「声をかける」ということ
私は翌日から、自分に課題を課しました。
「どんなに忙しくても、1週間以内に全員と必ず話すこと」。
難しいことではありません。挨拶でも雑談でもいい、とにかく声をかける。
メモに名前が出ていないスタッフから優先的に声をかけていく。
最初のうちはぎこちなかったのですが、数週間ほど経つ頃には職場の雰囲気が少しずつ変わってきたのがわかりました。
この取り組みを続ける中で、私は大切なことに気づきました。
それは、自分が「無意識に避けていた人たち」がいた、ということ。
嫌いとか、苦手とか、そうした明確な理由があるわけではなく、「なんとなく合わない」と感じていた人たち。
その“なんとなく”が、人間関係に大きな溝を作っていたのだと思います。
話をしてみると、意外とよく笑い、真面目で、しっかり考えを持っていることがわかる。
同じ空間で働いていても、対話を通じて初めて見えてくる一面があることを痛感しました。
上司と部下であっても、人として心が通う瞬間がない限り、真の信頼関係は生まれないのです。
「合わないかもしれない人」と話す勇気
あの経験を経て、今私が意識していることは一つだけです。
「なんとなく合わないかもしれない」と感じたスタッフほど、意識して話をすること。
忙しさを理由に距離を置くのは簡単です。
しかし、それこそが信頼を損ね、離職につながる最初のサインなのだと今では思います。
不思議なもので、話を重ねるうちに、以前は“合わない”と思っていた人の考え方や強みがよく見えるようになってきます。
その人の仕事の丁寧さや患者さんへの気遣いに、こちらが学ばされることも少なくありません。
上司という立場であっても、やはり人と人。対話を通じて相互に理解し合う関係があるからこそ、チームは機能するのだと感じています。
➡️デバッグ:気まずい相手への「ドアノック・ツール」
とはいえ、今まで疎遠だった、あるいは苦手意識を持っていたスタッフに、急に「最近どう?」と話しかけるのはハードルが高いものです。 相手も「急になんですか?」「何か裏があるのでは」と身構えてしまうでしょう。 そこで私は、会話の質を捨て、「事実」と「変化」だけを拾うことに徹しました。 これは相手の心の扉を叩くための「ドアノック・ツール」と呼ばれており、セールス業界ではよく知られている手法だそうです。
具体的には、以下の2つだけです。
1.「事実」への感謝 ×「最近調子どう?」 〇「昨日の日報、丁寧に書いてくれてありがとう。助かったよ」 感情を聞くのではなく、相手が行った「事実(業務)」に対してフィードバックする。これなら相手も「あ、はい」と答えやすく、拒絶されるリスクはほぼありません。
2.「目に見える変化」への言及 ×「悩みはないか?」 〇「その時計、素敵だね」「髪型変えたんですね、似合ってますよ」 相手の「変化」に気づくことは、「あなたに関心を持っています」という最強のメッセージになります。
苦手な相手ほど、こうした「感情を挟まない会話」から始める。 これを繰り返す(量を稼ぐ)ことで、次第にお互いの警戒心が解け、やがて「実はこの間の件なんですけど……」と、向こうから質の高い相談が来るようになるのです。自分が部下だったら、普段から気さくに声かけてくれる上司とそうでない上司だったら、確実に前者を選びます。自分に当てはめたら誰でもわかることなのですが、意外と気づいていない人が多いのではないでしょうか。
離職率7%という変化、そしてこれから
いま、私たちの病棟の離職率は約7%ほどまで下がりました。
立ち上げ当初と比べ、病院全体の体制が整ってきたことも大きな要因です。
ですが、私は「日常の会話」という小さな積み重ねが、根本的な変化を生んだと思っています。
職場の空気は格段に柔らかくなり、スタッフ同士が自然と声を掛け合うようになりました。
「話す」という営みそのものが、職場を支える最も大切な土台なのかもしれません。
➡️デバッグ:制度は「不満」を消し、会話は「繋がり」を作る
いま、私たちの病棟の離職率は約7%まで下がりました。 もちろん、病院全体の給与体系や休日数などの「制度」が整ったことも大きな要因です。 しかし、経営学者のハーズバーグが提唱したように、制度や給与は「不満を解消する」ことしかできません。 「ここで働き続けたい」という前向きな動機を作るのは、いつだって「達成感」や「他者からの承認」です。
制度が整っても、人間関係が冷え切っていれば人は辞めます。 私が続けてきた「挨拶」や「雑談」という名の小さな接触の積み重ねは、制度というハードウェアの隙間を埋める、潤滑油のようなソフトウェアだったのだと思います。
遠回りに思える取り組みかもしれません。
けれども、その効果は確実で、そして何より“続いていく、つながっていく”ものだと感じています。
もし、かつての私のようにスタッフとの関係に悩んでいる管理職の方がいたら、ぜひ一度、紙に「誰と話したか」を書き出してみてください。
その小さな行動が、きっと大きな変化のきっかけになるはずです。

