理学療法士が教える社会人として幸せに働くためのマインド その2

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私の同僚には白黒はっきりさせないと気が済まない人がいます。グレーは許さないという感じです。他人に攻撃的になりやすく、本人も感情の起伏が大きく、精神的に落ち着いていないことも多々あります。皆さんの周りにもそんな人がいませんか?

話は変わって、私は理学療法士ですが、病院の管理職として作業療法の部門でも、作業療法の部門の成長に関われればと思い、一冊の本を読んだ事がありました。

『作業療法の曖昧さを引き受けるということ』 上江洲聖・齋藤佑樹 医学書院 2023

という本です。その本の中で、気になる単語がありました。それは

ネガティブ・ケイパビリティ

ネガティブ・ケイパビリティ(Negative Capability)は、「答えが簡単に出ない状況や不確実性に耐え、受け入れる能力」のことを言います。この概念は19世紀のイギリスの詩人ジョン・キーツによって提唱され、後に精神科医ウィルフレッド・ビオンによって発展しました。恥ずかしながら40歳にして初めてこの言葉を知りました。同時に、もしかしたら私の同僚はこの【ネガティブケイパビリティ】なるものが低いのかもしれない、という結論に至りました。

同僚も理学療法士です。前述した本にもあったように、この仕事はネガティブケイパビリティを高めていくことが必要な仕事なのかもしれません。今回は少しそこを掘り下げてみようと思います。

人が人をリハビリで治す事はできるのか

私たち理学療法士、作業療法士が対象にしているのは、『人』です。ご存知の通り、今の医学や科学でわかっていることはほんの一部であり、その知見を拝借して人に当てはめながら、効果があったりなかったりを繰り返して、一定の対象者に効果がある程の根拠を採用しているのが現状です。万人に効果があるスペシャルなリハビリ手技は今のところ存在はしません。しかし薬は、誰が本人に手渡しても、その薬の効果は変わりません(どの薬を処方するかの判断の部分では医師のスキルや経験に差が出る事はありますが)。理学療法や作業療法はそうはいかず、『誰が』『誰に』『どのような』リハビリを行うかで、大きく結果が異なってしまうため、医学的な根拠を蓄積しにくいという側面があります。

若い頃の自分を思い返すと、対象者を治すことが自分の仕事であり責任であるという一心で、とにかく講習会で学んだこと、参考書に載っていたことを駆使して結果を出したいという思いで毎日を過ごしていました。ところが通所リハビリテーションに勤務していた時に、自分より明らかに自己研鑽を積んでいない同僚やリハビリ中、ただ会話している時間が多い同僚よりも自分の方が利用者からは人気がなかったのです。なぜ人気がないのが分かったのかというと、その通所リハビリは利用者が担当のセラピストを選ぶ事が出来たからです。私を指名してくれる人はとても少なく、ただ話をして足を揉んでいるだけのセラピストの方が指名が多いことが、自分にとってはかなりのショックでした。今にして思えば、自分の分析力の無さや、利用者との信頼関係など、要因はたくさんあったのだと思います。果たしてどちらが正しいのかはいまだに分かりませんが、そもそも人が人をリハビリで治す、という考え方自体が偏っているような気が最近はしています。リハビリには正解がないのであれば、不正解もないわけです。とすると何を持って自分たちのやっていることの良し悪しを決める事ができるのか?という疑問が出てきます。それはまだ自分には分かりません。まさに【曖昧】です。ですがもし若かりし頃の自分が聞いたら、腑におちないし、おそらく若いセラピストに聞いても同じような感情になると思います。この【曖昧】に耐え、受け入れ、自分のやっていることが間違っている、とか正しいとか過剰に決めつけずに、自分の頭で考えたことやまだ試したことがないことに少しだけチャレンジしていくこと、その結果をありのまま受け入れること、その勇気を持つことが大事なのではないか、と思います。

VUCAという時代

VUCA(ブーカ)という言葉を耳にした事があると思います。釈迦に説法かと思いますが、この言葉は現代の急速に変化する社会やビジネス環境を表す言葉で、以下の4つの英単語の頭文字から成る造語だそうです。

  • Volatility(変動性):急速かつ大幅な変化が起こる状況
  • Uncertainty(不確実性):将来の出来事や結果が予測できない状況
  • Complexity(複雑性):多くの要因が絡み合い、理解や対応が難しい状況
  • Ambiguity(曖昧性):情報や状況が曖昧で解釈が一様でない状況

現代では、新型コロナウイルスなどのパンデミックやAI、戦争など、予測不能な事態が頻発しており、VUCAはこうした時代の特徴を端的に表しています。ですが、よくよく考えてみると、VUCAではない時代というのはあったのでしょうか。多くの人がその単語を知ることで、「ああ、そうなんだ」と意識にのぼってしまっただけかもしれません。インターネットやSNSが普及して、ある物事に対して猫も杓子も自分の意見を発信できるプラットフォームが出現してから、いろんな人の意見が良くも悪くも見えてしまったが故に物事に白黒はっきり決めつける事ができなくなっているように思えます。

リハビリテーションの業界でも同じです。例えば歩行獲得に対する下肢装具の効果についても賛否両論あります。早期に長下肢装具を作成し、重度麻痺がある患者でも歩行練習を多く取り入れることで歩行の再建を図ることができる、という意見があれば、装具を使用することで筋や関節には動きが入らず、拘縮や感覚入力の低下が懸念され正常な姿勢制御の回復を阻害する、という意見もあります。前述したように、セラピストのスキルや経験と対象者の状況のどちらも変数であり、その幅が大きすぎるため、なかなかエビデンスが蓄積できていないことが背景にあります。今後おそらくAIがリハビリ業界に導入されることは間違いないため、対象者に適した介入内容が今よりもより洗練されてくることはあると思いますが、【曖昧さ】がゼロになる事はないでしょう。

曖昧さの海の泳ぎ方

現在40歳の理学療法士で中間管理職をしていますが、このネガティブケイパビリティの高さに関しては、私はかなり自信があります。というよりも私の周りの人のネガティブケイパビリティは低い人が多く、ずっと落ち着かない状況に身を置いているように感じます。いつからか同僚をみて、「同じことでずっと落ち込んでいるなあ」、とか「なんでこんなにいつも焦ってるんだろう、イライラしているんだろう」、と俯瞰している自分がいました。もちろん私も落ち込んだり、焦ることもありますが、2日も3日も続く事はありません。一定の時間が経つと自分でも気持ちがまた上がってきていることが実感できる日もあります。

私の経験上、ネガティブケイパビリティは一朝一夕で身につくものではありません。ですので、もしこの記事を読んでくださり、ネガティブケイパビリティを高めたいと思う方が、効率良く自分を変えていけるように私がこれまでに経験して意味があったと思うことをいくつか紹介します。

人の助言を聞き入れすぎない

理学療法士としては結果を出すために、よりいい方法を模索したくなります。その結果、上司や先輩に質問してやり方を真似したくなります。しかしその先輩や上司が伝えていることが必ずしも質問者にとって最良の選択になるかどうかは疑わしいものです。何も考えないでやってしまうよりはだいぶマシですが、そのアドバイスは上司の経験や知識に基づくものであり、質問者が同じようにできるかどうかは分かりませんし、むしろ難しいことの方が多いような気がします。個人的には聞くだけ聞いておいて、そこから先は自分で考えることが重要だと考えます。そうすると少し周りから浮いているような感覚に陥るかもしれません。ですが、その些細な違和感に対して常日頃から身を浸してみましょう。周りと違う、という感覚に慣れていくことで、不一致こそが当たり前であるという感覚を養える事ができると思います。

そうすると上司や同僚から嫌われるかもしれないと心配になるかもしれません。ですが、おそらく嫌ってくる人々のほとんどはイエスマンであり、右向け右の精神で生きてこられた方々ですから、その方々から高い評価を得られるということをむしろ積極的に避けていくほうがいいのではないでしょうか。初めは抵抗があるかもしれませんが、徐々に慣れてきますし、気が楽になることで他人にも寛容になれ、他人との適切な関係を築けると思います。

いい結果にこだわらない

冒頭に話した同僚は、常に完璧を求めていました。例えば、人員配置を考える時、何時間も熟考に熟考を重ねていました。側から見て立派だなあと思う反面、そこまで考えたとしてもどうせ問題は起こるしなあ、と思っていました。もちろんある程度、適材適所を考えたり、働きやすい環境づくりは考えますが、私たちは神様ではないので、将来問題が起こらない完璧な人員配置など到底無理ですので、ある程度考えたら、進んだ方がいいと思いました。むしろ将来おこるであろう問題に対して、どう対処していくかの方がよっぽど大切です。

時を進めて実際どうなったかというと、もちろん問題は生じました。これは当然のことですし、人員配置が間違っていたとは思いません。同僚は、「あれだけ考えたのに何故」、「自分はここまで考えたから、この先の問題は他人の問題」という考え方でした。状況は違えど、皆さんの上司や同僚にも似たような行動をしている人がいるのではないでしょうか。完璧を求める=白黒はっきりさせる=結果が違った場合対応できず右往左往してしまう、という思考になりやすいのだと思います。

私の好きな言葉に【人間万事塞翁が馬】があります。端的にいうと、人生において、何がよくて何が悪いのか、後になってみないとわからない、幸が不幸に、不幸が幸に転じることなど多々あるから、都度感情に振り回されないように、という内容だと解釈しています。ですので、初めから完璧を目指さずに、どんな状況にも対応できるくらいのしなやかさを頭の片隅においておきましょう。

感情に支配されない

何か問題やトラブルが生じたときに、すぐに不安や怒りが込み上げてくる事があります。これは誰にでも経験があると思います。ここで大抵は、その感情の赴くままに行動に移ってしまいます。誰かを叱責したり、ひどく落ち込んで仕事が進まなくなってしまったりしてしまいます。私も未熟者ですので、いまだに感情のまま行動してしまって後々反省したり後悔することもあります。ですが、ここでお伝えしたい大切なことは【自分の感情を俯瞰してみる】ということです。具体的には、感情が生じたとき(悪い感情だけでなくいいことも含め)、「ああ、今の俺、こんな感情になっているなあ」と他人事のように自分を見てみることが重要です。そうすることで若干タイムラグが生じますので、大きく上下動した感情がまた落ち着くまでの時間が確保できます。感情のまま突っ走って行動してしまうと、どんどんエスカレートしてしまうのです。例えば仕事でミスをして落ち込んでしまう→誰かに相談するが予想した反応がなく余計に落ち込む→やけになってお酒を飲みすぎてしまい熟睡できず翌日も気分が晴れない、などと言った負の連鎖を生み出してしまいます。この連鎖をできるだけ早い段階で断ち切ることが大切です。加えて前述した「人間万事塞翁が馬」の精神でいれば、問題そのものを違った感情で受け入れる事ができます。

よく寝る・休む

個人的には疲労が溜まると心に余裕がなくなり、他人の意見に対して感情的になりやすい傾向にあります。そうすると相手に対して自分の考えをぶつけてしまったり、白黒はっきりさせたくなってしまいます。そういう時私は「今日の自分は疲れているなあ」と俯瞰して、あまり他人に対して深く突っ込まないようにしています。後日自分が元気になって余裕が出てから改めて伝えるようにしてますし、日が経つと意外と目くじらを立てるほどのことでもなかったな、と思えることも多いです。もし伝えるべき事があっても、自分に余裕があればゆとりを持って伝える事ができるので、相手との関係性も悪くなりにくいです。

そんな日は、自分にも他人にも多くを求めず、ゆっくりとあったかいお湯に浸かって、一杯の白湯を飲み、7時間以上は寝ましょう。

最後に

私の経験上、仕事においてネガティブケイパビリティの低い方、曖昧な状況を受け入れづらく、白黒はっきりさせたい人は、真面目で責任感が強い方が多いように感じます。おそらく誰かに対して説明責任を果たすため、若しくは誰かに不都合が生じないように完璧に理論武装しておきたいという心理が働いているのかもしれません。ですが、先ほども述べたように、どれだけ時間をかけて準備をしても問題がなくなることはありません。むしろ将来起こるべきであろう問題を予測したり、それを解決する経験を積んでいった方が、後々の自分の能力になりますし、ある程度のことでは狼狽しなくなります。

そしてそもそもこの世の中で【曖昧】でないことは意外と少ないかもしれません。なんとなく自分や周囲の人が決めつけているだけの常識に囚われずに、曖昧さを受け入れることで自分にも他人にも寛容になれると信じています。

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